原動力を何に求めて生きていくのか

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どーも、かとまさです。

最近、他の高校生ブロガーからTwitterをフォローされたりして、もちろんリフォローしたり、その人の記事を読んだりするんですが、その中で超共感する記事を見つけてしまったので、そのことについて考えてみたことを書いてみようと思います。

さて、その記事とはこの記事のことです。

 

最近、「お前って意識高いよな」と学校の友人から言われることがあり、「いやいや、そっちのほうが怖いよ…。」とか内心思いながら、意識高いっていう意味にもいろんな捉え方があるのかもしれない、と最近考えるようになりました。

そんなタイミングで見つけた記事がコレ。

僕はこれまで、勉強ばっかりしている人を意識高い系と呼んだことがなかったのですが、にしすーさんは、成績が良い人を「意識高い」のうちに入れていました。

意識高い、の定義は本当によく分かっていないし、ヘタなことを言うのもどうかと思うのでここでは明言は避けておこうかと思います。

でも、彼女のブログに綴られた疑問が共感することが多すぎたので、今日はそっちの疑問について少し考えてみたいと思います。

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【みんな結局どこへ向かうの?】

僕はいわゆる進学校に通っています。

そして、周りには勉強できる人たちがたくさんいます。正直、怖すぎます。

彼らは何をやりたいんだろう。夢をどこかに置いてきてしまったんじゃないかと思ったりします。

― にしすーごと 「意識高い人たちが怖すぎる件。テスト前に頑張る理由が欲しい。」より ―

そもそも、そんな話をしたことはないですが、彼らに夢があるのかどうか、本当に不思議で、何を原動力にあそこまで無理をして勉強しているのか全く理解できません。まるでロボットのように勉強してるな、とも思ったりします。

例えば、東大を目指している人であれば、東大、あるいは偏差値が高い、ということに価値を求めすぎていて、その先で何をしたいのか、というのが全く分かりません。

もしかしたら、こんなバカには話すのがもったいない、とか思って心の中でスゴイ闘志を燃やしているのかもしれません。

でも、それってズルくないですか?

勉強に夢中になれてる人って、僕の周りだと少し、いや、結構プライドが高い。

その点で嘆くなよ、っていう点で大げさに嘆いてみせる。そんな人が山ほどいます。確かに、1点を競う、1点を大切にする、というのはとても大切だと思います。

けど、そんな姿を見てると、点をとること、大学に入ることが目的となっているようにしか見えなくて、正直怖いです。

じっくり考えてみると、プライドが高いことで、夢を口に出せてないっていう人も少なからずいるんだと思います。失敗を恐れすぎている、ということでしょうか。いや~、本当にズルいと思う。

【大は小を兼ねる、だけでは進めない】

僕は以前、こんな考えを持っていました。

「一応すべての教科をバランスよくやってれば、何とかなるだろう。」

でも、それだけでは何か足りない気がしてきたんです。つまり、勉強をする理由を見失ってしまった。だから、このように考え始めた辺りから真剣に勉強に向き合えなくなってきたんです。

勉強ができればそれでいい、そんな周りの空気もあってか、この悩みとの戦いは長期戦に持ち込まれました。(笑)そして自分なりに出した結論がこんなものです。

「確かに何でもできる人は尊敬できるが、自分が最大限を発揮できる分野での専門性を持ちながら、幅広い教養を身につけることが必要なのだ。」

つまり、これやりたい、あれやりたい、を積み重ねて、自分の進むべき道を見つけることさえできれば、その専門性を磨きながら、学校では一般的な教養を身に付けていければいいんじゃないか、という結論に至ったわけです。

何か志をもっていさえすれば、大は小を兼ねる、なーんて発想は生まれてこないだろうし、すべてが何かとつながっているのではないか、という少しはマシな発想で勉強ができるようになると思います。

【最後に】

今や、いろんな仕事の形があります。

今の時代、何でも好きなものを突きつめてやっていけば、仕事になります。そっちに志を向けて、頑張ってる人がいたっていいじゃないですか。

武器を一個しか使っちゃだめなんてルールないんですよ。

― にしすーごと 「意識高い人たちが怖すぎる件。テスト前に頑張る理由が欲しい。」より ―

勉強さえ、部活さえできればいい。その考え方をもう一度問い直してみたい。

「オンリーワンじゃなくてナンバーワンを目指せ。」と誰かが言っていた。確かにそういう一面も社会にはあるんだと思います。競争社会、ストレス社会って言われてる時代ですから。

けど、そうじゃない生き方だってある、ということを学校や大人たちは子どもに見せる必要があると思います。

どちらか片方に偏りすぎるのは良くないと思いますが、それを取捨選択するのは子ども。だから、何かの原動力となる理由が見つかるまでは「答え」をすぐ与えようとせずに、少しだけ待ってヒントを与える役割を大人に担ってほしいなと思います。

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